お願い夢なら覚めないで、と思ったときには覚めている。

NOVAの一連の騒動のなか、
外国人講師の動きは鮮やかだなぁ、
と思った。


主にデモ行進、マスコミへのPRなどからそう思ったわけだけど、
なんか方法論が確立されている感じだなぁと。
その手際のよさは、違和感とも感心ともいえる感覚をうむ。
欧米における企業とその雇用者の争議の歴史の差が、
こういう相違を生んだのかなぁ、などと。


「こういうときは、こうしないと、コレコレの権利を主張できない」
権利の上に眠るものは保護するに値しない、というか。
黙らない被害者というか。
理屈っぽいといえば理屈っぽい感じもするけど、
その反骨な雰囲気は、いいなぁと思う。
強者に弱者がやられたときに、
みじめさをアピールして同情に期待して救済を待つ、
というスタイルよりはよほどいい。


でも、なんとなく日本の雰囲気だと、
反骨すること自体が、余裕のあらわれと捉えられかねない気がする。
「なんだ、余裕あんじゃん」
みたいな。
へたすりゃ売名行為とされて、マスコミに叩かれかねない。
ちょっと違うけど、中村ノリみたいなね。
「そんなギャーギャー言わずに黙って従っとけよ」
みたいな。
ノリは結果を残したからアンチは黙ってるけど、
結果を残せなかったら、
「あんなことする性格だから、野球もだめなんだ」
という人格全否定に近いコメントが予想される。
亀田しかり。
勝ち馬に乗り、あらを探してこき下ろす。
んなもんクズの仕事だよ。


以上そんな気がする、というレベルの話でした。


でも、いざ自分がやられたときにどう立ち振る舞うべきか、
について基本的な姿勢が固まってないと、
結局泣き寝入りに終わる気がして、他人事じゃないな、と思った。



今日は結婚式幹事の顔合わせだ。
こういう時に限って、
延期になっていた合コンが再設定されたりする。
「ごめん、先約があるから」
血の滲む思いで断る。
しかし、その後、
「もしオールでやってるなら途中参加も辞さない」
と気迫を示してしまう悲しさ。


正直、半年近くの禁欲性活により、
暴発寸前なのである。
アーメン、なんて、イワヘン。。