ごぶさた。

私は、
自由という無法地帯の恐怖を知っている。
「なにもしなくていい」
という困惑を知っている。
かつての大学6年目の失敗。
それは自由の泥沼に足を取られ、
真の意味で堕落していったことなのだ。
ただし、バイトをしなかったとか、
ろくに就活しなかったとか、
そういう表面的なことを指して堕落とはいわない。
もっと自分の内面的な問題。
自らの感情、感覚をないがしろにしたことが、
堕落であったのだ。


さて、
今、私はニートである。
とはいえ、4月からはまた所属する先がある点で、
期間限定のニートであり、
ニートと自称するのは真のニート達に失礼かもしれない。
村上隆あたりがニートは時代の先端だ、
というようなことを言っていたと思うが、
私もそんな気がしている。
ごく普通の感覚、思考を持って生きたら、
ニートにならざるをえないのではないか。
どこか自分の感覚を麻痺させないことには、
とてもじゃないが社会生活など営めない。
特に他人に対する思いやりは、邪魔になる。
人の心、自分の心ほどわからない。
それでも事は進行する。
やさしくしたいし、やさしくされたい。
でもできない・・。
エヴァンゲリオンが優れている所以を思う。


女性。
彼女、というものがこの2年いない。
それだけの事実、と思えるほどに、
彼女がほしいという欲求がない。
現実問題としてこれからまた学生になるから、
経済的基盤が弱いということもあるが、
私の解釈では、
「もう一通り恋愛は経験したから、
また誰かと付き合っても同じことの繰り返し。
それはうんざり」
ということに収まっている。
ひとめぼれも、かつてに比べたら、
しなくなった。
これって人間として致命的ではないか?
瀬戸内寂静が言ってた。
「一生、恋しなさい。」
まいったね。
というわけで、
年明けから各方面の女性に仕掛けている。
・前の職場
・バイト先周辺のお店の女性
焼肉屋の店員
・以前合コンした人たち
結果は、むなしいものばかりであるが、
こうした努力が私の成長、
そして結果に結びつくと、
思いたい。


人間とはさびしがる生き物である。