テスト2の7回目・・・6点/20点

たしかに、
先週は遊びすぎたけど、
勉強量が少なかったわけでもなく、
睡眠も十分とっていたから慢性的に眠かったわけでもなく、
テストを受けながら思ったのは、
「まぁ10点はいくだろう」
ということ。


でも6点。
今回は合点がいかなかった。
そしてこういうのが一番怖い。


見直してみると、単純な知識不足。
そして誤解。


確固たる暗記による知識が不足する部分については、
もてる知識を総動員しての「推測」により解答を導くしかない。
が、その推測が誤解を生むように問題というものはできているわけで。

AかつBならCだろう、という推測が、
AかつBならC、ただしDならE、というように例外によって崩れる。
原則はすぐに修得できる。
例外の幅と深さをどれだけ修得できるかが、
全問正解への鍵だ。


ということはわかっているけど、
ねぇ。
あるいは、そうじゃないのかもしれない。


昨日はNHKポアンカレ予想を解いた数学者が失踪した、
というドキュメンタリーを観た。

非常に面白かった。
「数学は美しい」
みたいな品格を語るおっさんはいまいち信頼おけないというか、
そりゃ数学は美しいのかもしれないけど、
その美しさがわかるから偉いみたいなのは、
あつかましいと思っている。
けどまぁ、すごいっちゃすごいとは思う。


ポアンカレ予想を証明するために、
破綻していく数学者の人生を見て、
普通の日常生活が展開しているこの世界とは、
別の次元の世界が数学のなかに展開しているんだなぁと思った。


天才と呼ばれた男が失踪したのは、
まさに別次元に入ってしまったからなのか。
数学とは無縁の私にはわからない。
100年間誰もなしえなかった証明をなしえた男の気持ちなど、
今現在の地球上には誰もわかる人間はいないのだろう。


その孤独を思うと絶望的になるが、
「その孤独を思うと絶望的になる」のは、
あくまで私であって、数学の天才である彼ではないことを思うと、
彼にとってその孤独とは一体どのようなものなのだろう?
と思う。


彼はなにを求めていた?
彼がその証明に人生を費やした初期衝動には、
数学の美しさ、なり、知的興奮があったのかもしれないけど、
世間に天才と称され、なす仕事が超一流になるにしたがって、
孤独がまし、また孤独にならなければ到達できない領域に足を踏み入れ、
もはや後戻りのできない、彼自身にもコントロールできない、
慣性の法則のような力で彼はその100年の難問を解いたのではないか。
そして、その難問を解いた後、彼の行き場は?
また別なる難問へと向かうのか・・・。


なかなか奥の深そうな世界だ。



数学をかじってみたいなぁと思った。

自分に子供が出来たら、
こういうものを見せてあげよう。
面白いぞっつって。
いやでも、子供が孤独な数学者になってしまうのは、
いかがなものか・・・。


などといろいろ思う。


それに比べりゃ今俺がしてる勉強なんて、
ままごとみたいなものだ。


ただし、俺が彼ほどの天才ならね。


凡人たる俺も、
世界観のフロンティアを開拓し、
あるいは世界に対する解釈を更新していきたい、
という知的野心を有している。


また、凡人といえども、
リビングデッド、
すなわち生ける屍となりたくないならば、
常に自分の頭で考え続けなければならないとも
思っている。


というわけで、
先日、下北の古本屋で以下の超重要文献を、
100円叩き売りワゴンにて発見、
即購入した。

ヒトはなぜ助平になったか (講談社文庫)

ヒトはなぜ助平になったか (講談社文庫)


日々是、研究。
思索の道は、
極まりしらず。