はなもちならない2

昨日、新文芸座のオールナイト企画「とんでも映画上映会」に参加。
非常に面白かった。
なにがどう面白いのかは、説明が難しい。
あえていうなれば、見事に時間の洗礼に耐えきれなかった作品の、あまりにみごとな勘違いっぷり、ということか。
そうしたとんでもない映画を、今回のような上映会という文脈に置くと、ダイヤのごとく輝きだす。
あまりの笑いのセンスに、あえて狙っているのか?と一瞬思うがきっと違う。
当時の制作者はそれなりにまともなウケ(笑いの方向じゃなく)を狙っていただろう。
また、これらの作品を自宅DVDでみたら、五分と耐えられないだろう。


朝六時に家に戻り、昼まで寝る。
NHKでボート全日本を見る。

近所の喫茶店で本を読む。
すると、次のようなことが頭をよぎった。
「俺は答えはわかる。でもその答えにいたった理由を表現するのを面倒くさがる。」

コミュニケーションとは表現だから、それを面倒くさがるのは致命的だ。
なにより、説明してわかってもらえるか、わかってもらうことに価値があるのか、というおごりもある。

だが、俺の答えと近い考えを持つ人もいる。
さらには、俺より先に思考、行動を進めている人もいる。

面倒くさがっている場合じゃないなと思った夕暮れ。