活字中毒
活字中毒、聞えはいいが要は現実逃避である。
小説、新書、エッセイ…それらを読むあいだはここではないどこかへ我が身を置くことができる。
夜があけ、朝にもなれば家畜人ヤプー列車にドナドナされ、牧場へ。
女子とじゃれたり、おっさんの超越ギャグに触れるのは楽しい。
しかし所詮卑しい身分。エンジョイしきれない。
ハローワークのサイトを繰ったり、試験勉強をこっそりしたりして、ごまかす。
ちゃんと働いたら、ましになるだろうか?
俺は今までや、現状のように、どこでなにをやっても、それなりに楽しくやる術を身に付けたようだし。
思春期のように、潔癖で妥協知らずな思考はしなくなった。あるいはできなくなった。
孤高を守れる強さが消しとんだ。
これは成長か、堕落か。
それなりに楽しい。
それがいい感じのスタイルなのかもしれない。
「でも…」
とことん、狂ったように。夢中に。
「なぜ、そんなに?」
と聞かれて、
「そこに山があるから」
というような。
まったく、血迷っている。
所詮てめーは凡人なんだ。
いい年してあきらめやがれ。
適当に日銭稼いで、適当にモテて、牧場から出ることなく、凡庸に家畜として天分をまっとうしやがれ、畜生が。
そうして家路につく。
そうした思考がルーチンになる。
内容は暗いが、はたからみるとさほど深刻には見えないらしく、自分でもどれ程深刻なのか疑わしい。
これもひとつのプレイなのかもしれない。
明日は新文芸座のオールナイトにでもいくか。
ミスドでポンデリングをついばみながら計画するのんきっぷり。
坂口安吾は堕落論で、人間は落ちるとこまで落ちきらないと浮上することはないと説いた。
大学一年の時から、その説が幾度となく頭をよぎる。
それゆえ、いかなるときも焦らなかった。
やるときは、やるから。
最近は、焦らないとはいわない。
意外になにもやらないんだもの、私。
もうボトムもいいとこだろう?
でも、なぜかここにきてモテる。
かっこよくてダメ男の時代なのか。
もっとブサイクならましな人間になれるのかもしれない。
かような、はなもちならない思考は止まることを知らない。
アホ。
なんだかなぁ。
そんな気分がにっちもさっちも行かないとき、本を買う。
読む。
で、また振り出しに戻るのであった。
中毒、麻酔、麻薬。
(半分フィクション)