真の馬鹿とは。

もの知らぬことが馬鹿なのではない。では一体馬鹿とは何か。以下それについて考察が深まる一例です。
昨日、ちょっとマシな居酒屋でなべをつついていました。
しばらくして、横の席に若い娘がやってきました。
私の友人の荷物の上にテメェの荷物を置き、しかもハンケツ座ってます。いくら狭いとはいえ、それはなしです。
友人はキレそうになりながらも無言で荷物を移動しました。
その馬鹿の会話がいやおうなく耳に入ってきたわけですが、欧米の帰国子女で塾大学に通っていらっしゃる。兄貴は商社で六本木暮らし。あたしも将来、外資金融系で働く姿が目に浮かぶわ〜!
とのたまう。
その中流意識はどうだってかまやしないんですが、それ以前の問題を抱えていらっしゃる。
むっちむちのミニスカートで、あたしの尻にしかれた方が荷物も幸せよね?というサービス精神があれば、まだいいんですが、ただ単に他人をないがしろにすることに慣れきった箱入り娘が知ったような口聞いているのが、不愉快でした。
なぜでしょう?まったく関係ない人なのに。
やっかみでしょうか?ワンランク下に見られているのではないかという無意識に対する防衛反応でしょうか?自己の存在になにかしらの危機が訪れたのでしょうか?
どれも微妙に違う感じです。正確にいうとそれだけではない、です。
また、そのようにすべて理屈で考えて分析すれば、なにも不愉快なことなどおきやしないのでは無いかと思うんです。
でも、なんかムカつく。
その感覚が残るわけです。
その感覚を剥き出しにすると中学生です。
品のある大人は、なんかムカつくと感じてもジェントルに処理しなければなりません。
たとえば、店を出たあと友人に怒りを吐露するとか、このブログにブチまけるとかですね。
実際、このブログはいいガス抜き装置であります。
単なるガス抜き出はなく、読んだ方の考察が広がるなり深まるなりするような文章になるように心掛けたり、心掛けなかったりしているめっきり冷え込んできた今日この頃。
心の鍋で人間を暖めていきたいところです。