色々、ナイーブな問題。

北朝鮮問題。政治問題は政治で解決される。しかしながら最終的な責任は日本国民に帰ってくる。民主主義だから。政治家の顔は変わるが、国民は変わらない。羊飼いは変わるが、羊の群れを全部殺して総入れ替えするわけにはいかない。
当たり前の考えから発して、シンプルな理想に辿り着き、理想を生き、理想がこちらを振り向いたときに俺がいなくなれば、それが理想的な状況だ。または悲劇かもしれない。
言葉遊びが真実の回廊への扉を開けるかどうか、わからないため、谷川の詩集を買ってみたりした。
色々考えつつ夜道を歩いていたら、前にカップルがいて、女性が男の自転車のカゴにコンビニで買ったものを入れていた。
たよりない腕の、にくいような憎めないような手で俺のチャリのカゴにも入れてほしい。コンビニのビニール袋のなかにはあまーいスウィーツが入っており、痩せないとヤバいんだ、けどねぇ、などといいつつ笑った。
ホッホッホ。
しかしながら問題は、今の俺のチャリにはカゴがない。思い返せば、いまだかつてカゴがついていたことがない。
「ダメだよ、そんなんじゃ。ワタシの袋を乗せられない。」
そういわれ続けてきた気がする。