旧友をあたためる

新宿、満来で納豆ラーメンを食べていたところ、一本の電話が。
大学時代の友人からで、あいつが今上京してるから飲もう、という。高田馬場へ移動し、ひさびさに彼らと飲んだ。
二人とも、私と同じ文学部出身で、私が留年しているときに知り合った貴重な方々である。
思い返すと飲みの席で何を話したか、よくわからないが、心象としては、生意気なことを話していたと思う。
かつては、売春やら人生論的なことやらを傘屋の二階に棲む男の家でたまに語り合ったものだ。まだ生活をしらぬ、浮ついた時代だったが、みな切実だった。
抽象、言葉の世界から、生活の世界へ生き場所を移し、それぞれ苦労を重ねている。しかし、なげやりではない、こだわりのない会話は変わらず、よかった。
そんな花見の月として、ポエムを読んだら、俺も書く、といって二人は即興でマイポエムノートにポエムを書き込んでくれた。
新聞記者の男は、仕事の理想と自分の現実の間に生きる切なさを書き、自称プロの家庭教師にして作家デビューを目論み続けている男は、中国の故事を現代風にアレンジしたものを英訳し、それを日本語に訳したものを書いた。英訳、の部分はいらねーだろ。とも思うがその工程が彼にとってなにかしら意味があるのかもしれない。
よかった。なんだか、平安の詩会のようだと思わないでもない。確かに、技術はあまりに拙すぎるが、物思う気持ちに拙さはないのである。
再会を期して、グッドバイのバーイ。