帰りの飛行機2

飛行機が離陸する前、まだ滑走をはじめる前、客が搭乗し終わってすぐくらいから赤ん坊が泣いていた。
CAがあやしても泣き止まない。ぜいたくな赤子だ。
やがて飛行機は、滑走を始める。まだ泣いている。
飛行機が離陸、上昇、体にGがかかる。その時、赤子は泣き止んだ。
機が水平飛行になるとまた泣いたが、すぐ泣き止んだ。
確かに、恐いよな、と思った。飛行機は、偏見に満ちあふれた大人を騙すシステムに満ちあふれている。
ベルトや酸素マスクにどれ程の効果がある?緊急時の対処をCAは教えてくれるが、それは問題に答えが無いと安心できない悲しい性を突いている。きっといざとなったら、どうしようもない。そして、それをいったらおしまいだ。
赤ん坊には関係の無い話だ。エンジンの轟音と、体の不自由と、ベルト着用を促すシグナルで、これから異常なことが起きるのを直感するのかもしれない。
そして、いざ離陸したとたん泣き止んだのは観念したのだろうと思う。もう泣いてもどうにもならない。始まっちゃったもの、と。ちょっとかっこいい。
赤子の胸中やいかに。
いつか、赤子は泣くことでメッセージを伝えていると聞いた。
確かにそれもあるだろうが、俺は、赤子はそんなにクールじゃないと思った。
赤子の泣きは、ことばの一種や手段のみの行為ではない。それと感情が入り交じっている。いや一体か。
薄汚れた理性的な大人は、赤子をあやすなどと、息まいている。赤子は、自身の存在を賭けて訴えているというのに。
赤子の泣き方を、大人といういい訳の内に生きている人間もできるだろうか?
オーン