生物としての強さ

先日のメモ「生物としての強さ」
というのは茂木健一郎のブログから得たメタファー。
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/


なんというか最近よく思うのが、
この世界の2面性についてで、
1つは政治経済的な人類が作り出した人工のシステム、
もう1つは自然のシステム。


素人考えの漠然としたものではありますが、
両者のバランスをうまいこととって生きていかねばなるまいて、
と思う次第です。


数年前までの私は、政治経済的な立身出世を眼中にいれず、
本能の赴くままに生活してまいりました。
これではいかんと、ここ最近はがんばっている次第でありますが、
がんばって努力しても、結果となって人様に認められるかどうか、
その保障はどこにもなく、すべては徒労に終わるかもしれません。


さらに、ふと、己の人生の意義たるものに思いをはせたときに、
「老いさらばえて、死ぬだけか」
とぽつりと考えたときに、恐ろしい虚無感に襲われます。


果たして、生きる喜びとはなんでしょうか。
基本的に浮かれて生活している私は、
いかなる状況でもある程度楽しんで生きていける自信はあります。


しかし、夜に一人で上記のようなことを鬱々と考え出すと、
恐ろしい渦が胸中に宿ります。
なんてこった、この俺がいつか死ぬなんて・・・。


いてもたってもいられずランニングに出かけ風呂に入って、
床につきます。


全てを放棄するという考えにはいたりません。
今抱えている目標は是が非でも達成してやるという動機はいささかも減じません。
しかし、薄皮一枚で潜んでいる漆黒の虚無感。
そこに陥らないように薄氷を踏みつつ歩んでいる。
騒がしいテレビの電源を切った後の静寂。


所詮こうした思考は理屈に過ぎない、言葉上のもの。
ひとつの解釈にすぎない。
実際に俺は普段、楽しく生活しているじゃないか。
考えすぎるな。
かつ、逃げるな。
もっと強くなれ。
理屈に強くなるのも良いが、
もっと生物的に強くなれ。


自分や他人がなんといおうと、
タフに心惑わされないよう、
一生物として、強くなれ。


そういう強さを持った人を俺は知っている。
その人は、一見苦境であって、辛そうであっても、
底にタフな生命力を感じる。


そういう人に私もなろう。