大自然に生きる。

京王線沿線に在住の私は、
毎朝やむを得ず京王線に乗るわけですが、
これが非常に混む。


今朝も、ホームに電車が到着し、
ドアが開いて、すでにぎっしり。
そして誰も降りない。
えぇぇ。。
乗り過ごそうかな・・・。
と思いながらも乗らないことには今日一日がどうにもならない。
ので、無理やり乗り込む。


過去、大学1年当時、私は小田急線沿線に住んでいました。
1限の授業に出るため、ラッシュ時の電車に乗る必要がありました。
その時の電車の混みっぷりも相当なもので、
電車文化と疎遠であった上京したての私は面くらい、
「乗れるわけが無い」
と、何本も虚しく電車を見送ったものです。
そして、1限には毎度遅刻し、そのうち授業にすら出ることがなくなり、堕落の味をしめるようになりました。
今思えば、早起きしてラッシュを避ければよかったとは思いますが、1限に対してそこまでモチベーションがなかったのか、そこまで頭がまわらなかったのか、今となっては藪の中。


今朝は、そのときのことを思い出したしだいです。
こうして、むりやりに電車に乗るようになったのは、
成長の証か、それとも堕落か、判然とはしません。


新宿に着き、山手線に乗り換える際に、
毎朝ヌーの大群のごとき人の大移動を見ることができます。
私も大群の一人です。
私の所属する「京王線からJRへの接続ヌー族」
と、
「JRから京王・小田急への接続ヌー族」
の群れの流れはちょうど直角にぶつかる仕組みになっています。


その激しい流れのぶつかり合いにおいては、
一人ひとりのヌーの動きに気をとられていてはいけません。
全体としてのヌーの動きを意識する必要があります。
イワシの群れがあたかも全体で一つの生命体であるかのごとく、
この人間ヌーの動きもまた、全体で一つの生命体であるのです。


とにかく、群れの全体の動きを見極め、その一瞬の隙を縫い、
ようやく私は山手線のホームへ続く階段へたどり着きます。


その階段を駆け上り、ホームの屋根の合間からみえる空によって、
その日一日の気分がだいぶ左右されます。


今朝は青空で、朝日に身を照らされだいぶいい気分でありました。