自己分析〜テディ仮説〜

2000年、大学2年の頃。
ボート部のパンフレットに「俺のテディベアをまっぷたつ!」
と書いた。


テディベアは、自分の中の弱い部分の比喩であり、
当時、屈強な男たちに囲まれていた俺は、
肉体的精神的に強くなることだけを追求して生活していた。
そのため、弱さの象徴たるテディベアは、
まっぷたつにして葬り去るべきものだったのである。


月日は流れ、2002年、大学4年の頃。
超うぶだった青年は、祭でナンパして一夜限りの打ち上げ花火を上げるほどになった。
肉体的には大して強くはなれなかったが念願の大会には出れた。
憧れの女性の先輩に
「強くなったね」
といわれた。


やがて部を引退し、隠遁生活に入る。
それ以来、ふらふらとしていた。
客観的、一般的にいって自分には、エリートではないにしろ、
中の上の人間として社会に組み入れられる条件はあった。
そうとうにもったいない生き方をすることになった。
もったいない、つまり時代の先駆けである。
焦燥感も無くはなかった。
つまり老後の心配も無くはなかった。


そのような現実的な思考よりもつねに、理想的な思考が優先した。
「就職?墓場だね。」的な。
同時に「取り返しがつかん」とへこむ。
常に理想と現実が葛藤し、人生論や様々な価値感に話をすり替え、
現実逃避。
その繰り返しであった。



先日、己のこの約5年間の生き様を振り返り、反省してみた結果、ある事実が判明した。
「テディベアは生きていた!」
かつて青龍刀でズンバと真っ二つにしたと思っていた彼は、
じつはダミーで、しっかりと生きていたのだ。
俺は強くなったわけではなかった。
対人関係、飲み会などにおいてその対処方法を学んだにすぎなかったわけだ。
弱さは消えず、ただ対処方法などなにかしらの手段で補完できるにすぎないのだ。
テディベアは殺せない、不死身だ。。。


この結論に至るまで5年。
長くかかったものである。
やや2重人格なんじゃねぇの的な不安にかられつつも、
マイテディと共存の道を探ることにした。


もうテディを殺そうとは思わない。
そもそもボート部に入ったのも弱い自分だ。
テディは俺の価値観の源泉なのだろう。
そのテディを抑圧した結果、
俺は価値観を失い亡霊と化した。
いわばテディはコックスであり、
エイトには欠かせない。
おれ自身はエイトであり、
コックスであり、
漕手である。
その進路はテディしだいである。
なぜなら実際に船を進める漕手は、進路方向が見えないのだ。


この5年、結構いろいろ失ったが、
この結論を得ただけマシだろう。


そして、モテはした。
それだけが救いである。


以上がテディ仮説による自己分析であります。