新しいシリーズ「2つの新しい」

自分にとってのあたらしいことと、
人類にとってのあたらしいこととは違う。
自分にとってのフロンティアは、
既に誰かに踏破されていることがある。
自分という限りある人間が到達できるのはどこまでだろう。
死ぬまで牧場のなかで生きるのだろうか。
(牧場内で生きることの是非は考える余地がある)


他の人が到達した地点を間接的に体験あるいは知ることで、
それを自分の到達とみなす、あるいはフロンティアではないとすると、
目指すべきは人類にとってのフロンティアのみとなる。
(なぜフロンティアを目指すべきとするのか)


フロンティアとは別に、
人間が永遠に繰り返す経験というものがある。
恋愛、友情、生死といったものは、すでに誰かが経験しているからといって、
価値が減ずるものではない。
それを人間はきっと超越できない。
どうでもいい、と流せない。
古いことだ、とはいえない。
自分の恋愛は、友情は、死は、誰がなんと言おうと、
自分にとって未知の体験なのだ。


などと考えると、新しいということには、2つの基準があるということがわかる。


普遍的な視野に立つ自分、無限な自分。
いわゆるプロとしての自分。
(プロとは何か)


絶対的な個性としての自分、有限な自分。
いわゆる人間的な自分。


その並存が、あらゆる価値観をぶれさせる。