人格の統合
人格の統合。
これは難しい問題だ。
人間生活を営む上で、
多少の人格の使い分けが生じるのは自然の理。
しかし、最近あまりに自分の人格が分裂はなはだしいのではないかと、
反省するにいたった。
(なぜかというと、昔のHPやmixiといった、かつて書いた文章を発見されることがままあるからだ。)
人格には2つの側面がある。
一つは、情報量。
もう一つは、表現方法。
まず情報量とは、私自身のプライベートな情報や、持っている知識、見解を、
相手によって出し惜しみしたりするということである。
大して親しくも無い相手に超プライベートな話をするという難易度の高い技もあるが、
大概は、出し惜しむ。オシム
また、下にまつわる話題も相手によって緩急つけるのが自然である。
そしてなによりも、人格統合にとって重要な情報は、
「ある出来事にたいする自分の意見」という情報である。
プライベートな情報や、下にまつわる話は、
一時の赤面で済む。
しかし、自分の意見は、
「こいつ、こんなこと考えてやがる・・」
という極めて危険な効果を他人に与えてしまう。
無難な意見ならいい。
しかし、そうでないばあい・・これが一番危険である。
そして表現方法は、言葉遣いやノリである。
情報量が、話の内容であるならば、
その情報を表現する方法は、服であり、顔であり、表面的なものである。
同じことをいうにしても、
「まじで」
と
「ジーマワドル」
の2パターンがあるし、もっと深刻な乖離現象も起きることがある。
表面的とはいえ、人に与える心的効果は重大なのである。
続く・・。