果たして景気とは。

景気が最長記録を更新しながらも一般的な感覚からはぱっとしないと色んなメディアでいっています。

これすなわち、好景気の定義と一般的感覚とのすれちがいともいえましょう。

好景気を定義する場合、よりどころとなるのは客観的なデータであるはずです。
成長率がどうの、指標がどうのと。
逆に、景気の判断基準に入らないデータは無視されます。
たとえば私の意見とか。極論。

一方で一般的な感覚とは、平均的生活を送る個人の日常感覚の多数案であろうと思われます。
日常感覚はまさに日常生活を送る上で感じる様々な実感の集積であって、自分の生活圏から離れた成長率やら指標がやらは無視するのではないでしょうか。
そうした点を踏まえて、よくよく考えてみますと、両者のすれちがいは当たり前の話に思えてきます。

公的な機関や人間から発表される景気は、客観性もどのデータを採用するか、基準をどこに置くかで「景気」が揺れ動きますし、世論などは正体不明の怪物であります。
平均的生活、日常生活の定義もまた、「景気」同様、揺れ動くものであります。

雲をつかむような「景気」。
めんどくさい「景気」。
政府がなぜわざわざそんな景気を、良いだの悪いだの発表するのでしょう。
そこには理由があるのです。
経済政策に対する説明責任もありましょう。
国内外資本に対するアピールもありましょう。
私のような迷える子羊にたいする安心毛布でもありましょう。

より根本の動機はなんでしょう?
愛国心
身の保身?

しかしながら重要なのは、羊は毛を刈り取られ、ウールに加工される宿命だということです。
あるいはマトンカレーとなるでしょう。

それが嫌ならば、迷うことをやめ、柵を飛び越えていくより他ないでしょう。