男女の友情〜仮の結論

今年度上半期、私を悩ませ続けた“男女間の友情はあるのか”という問い。


そこにひとつの解がでた。
ある。そして、ない。


禅問答のようだが、つまりこういうことだ。
理屈上は友情はある。それは約束であり、理性であり、ルールである。
同時に、素直な直感、本能的に男女の友情は、ない。
絶対に。


どうやら、理性的な人、人間ができた人は、良好な友情を築いている。
(そういう人間はどこか疑わしい。)しかし、一貫性のない人、常識にかける人、おバカサンな人、
よくいって自由人気質をもつ人は、男女の友情を全否定する。


大概、前者と後者の間で葛藤するようだ。総合的に考えてどっちになるか。


俺は圧倒的に後者だった。
女性と友情めいたものは持てる。
でも常に自分にストッパーをかけないと、暴走する自分がこわい。
それが疲れる。
リラックスできない。
そして、この関係が友情といえるのか疑う。


一方、この世には、友情を盾に、エロスを摘み食いするやからが実に多い。
実にうらやましい。


2人一緒に食事行ったり、映画行ったり、なんなら旅行もいったり、セクースしたり。
それでもいけしゃーしゃーと涼しい顔していうだろう。
「え?べつに付き合ってないよぉ」
俺は完全にお堅い人である。
かといって、俺がパーナンした話や、若い娘と付き合っていた過去を話すと、
汚物でもみるかのように態度をかえる奴もいるこの世の中。
基準はなんだと。
てめぇもコチンである程度思考してるでしょう、と。
なんなら、おれのほうが割礼受けてますよと。
仮性は個性ですか?
僕と君のしていることは、おなじじゃぁないか。
いやむしろ、好き、と言ってくれた相手に対して、
「え?そういうんじゃないんだけど・・。まいったな、ごめんね。」
などというほうがよほど汚物だと思う。


さらに問いたい。
友情バリアは無敵ですかと。
その傘の元、なんでもありですか、と。
北朝鮮ですかと。
「だってぇ、まだ結婚してないわけだしぃ」
結婚はつまり出家ですか、と。
たわけ、と。


友情とか結婚とかうわっつらでいってんじゃないよ。
あたしゃねぇ、あんたと話してんだよ、と。
得たいの知れぬ常識やら法律制度の話してんじゃないんだよ。
浅草だよ、光代だよ、と。


そんなこといってやりたい。
そうですとも。
いえませんとも。
王様の耳は、ロバの耳。ローバーミミ。パコー
そして蚤の心臓。グムー


俺に奴らのマネはできない。
俺にはその種の嘘をつくことができない。
そのことは俺が潔癖であることを意味するではなく、
むしろ自分ですら嫌悪する出たがりの下心を止められないということである。
魅力的なパイ乙や、みるきーヒップをチラ見してしまう。
なんなら、2度見してしまう。
ナゼ、ココマデ、ココロガ、ケガレタノカ・・。


俺は昔、思った。
性欲がなくなれば、俺はもっと順調に育ち、偉大な人間になったのではないかと。
しかし現実は、エロス。いや、もっと卑しいものにまみれている。


獣。
ケモノ道に友情の花なんざ、咲きゃしねぇのよ。
その自覚を無視するとゆくゆくは植草大先生になっちまう。
手鏡没収されちまうわけ。


無自覚な合理的という名の合法的犯罪。
友情の合意に泣き寝入り。
かといってフリーセックスも嫌だゎぁ。
でもちょっといいね。
友情、築きたいゎぁ。
めんどくせぇ。
むずいなぁ。
彼女ほしいなぁ。
本当の人に会いたいわぁ。