幸せな朝、か。

金が無い、のは本の買いすぎ。昨日もまとめがいした。
小林秀雄の考えるヒント。小林は俺の思索の最先端。俺にとっての思索とは、知識の積み重ねではなく、ごまかしを廃し、現実っぽさや論理や効率、いわれのないそれらしい常識という無責任なかさぶたをひきはがして、痛々しい切実な俺の問題や価値観を直視することなんである。それは掘り下げる思考であって、知識の積み重ねではない。知識の積み重ねも好きだけど。
小林の本を読んで、ベルクソンの本を読んだりすると、結論は、いいものはいい、ダメなものはダメ、というYMO的なことになる。ことばにすると簡単だが、それを実感、適用するのは難しい。
自分の直感は信じたい。しかしそれは難しい。
無意識のうちに逃げてない?という疑惑。
前をあるくプリプリいちごちゃんヒップに目が行かないといえばウソになる。
こざかしい理屈を廃して生きたら、犯罪を犯しかねないのではないか?
とかくこの世にいきるには自分の直感をせき止めて、いろんなルールブックを参照して、許可不許可を下していかなきゃならない。そうこうするうちに直感は淀んで、自分で自分を腐らせる。
流れるように生きられたら。無邪気にはしゃげたあの頃が懐かしい。

今朝、小林を読みながらそういったことを思う。
するとなぜか、すごくすがすがしい気分になった。なにも解決はしていないのに。
これが俺の幸せの瞬間だ、とすら思った。

だから貧乏になっても本はやめられないんだと思う。