ぶらり大谷資料館ひとり旅

孤独が人を旅へと駆り立てるのだろうか。


実家に一人取り残され、
プチドーナツ化現象に現代の核家族問題をなぞらえながら悶々としていた。
「何かをもとめ、中心へ、核心へせまるほど、人間は孤独になるものなのだ。」


しかし、寝て過ごすのもまたやりきれない感じがしたので、
とにかくどこかへ行くことへした。


***ぶらり大谷資料館ひとり旅***


宇都宮駅前で餃子を食い、バスへ乗る。


乗客は4,5人。


バスに揺られること30分弱。
目的地に着く。
その頃には乗客は私だけになっていた。


バス停にぽつんと取り残され、
周囲を見渡すが、岩がちな山があるのみで、
どちらへ歩き出したものかわからない。
地図も無いので、適当に歩き出すとやがて看板が見えてきた。


目的地は大谷資料館。
栃木県民ならばしらぬものはないといわれる大谷地方の名産品である大谷石の資料館である。
大谷石宇都宮市内でも多く建築材として利用されている。
家の塀も大谷石だ。
大谷石は、うっすら緑がかった色をしており、耐火性に優れ、
軽い。
難点としては、もろさがある。
子供の頃、集団登校の待ち合わせ時間に、
近所の大谷石でできた塀を執拗に毎日蹴りつづけた。
見るも無残なへこみができたものである。



雨がちな天候で、資料館に近づくにつれ雨足は強まった。
山腹の穴から霧が出ている。
霧のむこうに建物が見える。
しかしてそれが大谷資料館であった。


雨が本格的に降り出したので、走って資料館に入った。
入り口の真正面すぐのところに受付がある。
受付には、どうみても土地の者ではないこじゃれた若い、20代後半かと思われる女性が座っていた。


私は、雨の中走ってきて、その勢いをやや残したまま建物に入ってしまい、なんとなく決まりが悪く、そのため意味も無く外の雨の様子をうかがうようなふりで一度振り返ってから、入場券を買った。
受付にあるマックのモニタにはなにやら英文で文章を打っているようだった。
「こんなど田舎の資料館。この人はきっと、学芸員でなにかを研究しながら暇のあるこの仕事をしているんだろう。ステキ。」
軽くデバガメ根性と妄想を発揮した。


資料館は2部構成で、資料室と地下の旧採掘場とに分かれている。
資料室をざっとながめ、お目当てである旧採掘場へと続く階段を下りていった。
そこは大谷石の旧採掘場とのことで、地下に巨大空間があるのだ。
戦時中は旧陸軍の倉庫として、また中島飛行場の軍事工場として利用され、最近では備蓄米の保管場所として利用されているようだ。


中の気温は11度程度と寒いくらい。
照明は最小限の電球で照らされており、暗い。
全体にもやがかかっていて、湿気がある。
はるか上の天井からしずくが落ちてきて、その音が反響している。
あくまで石の採掘場であったということで、
ざっくりと空間は切り開かれているが、
そのことがかえって豪快な荘厳さを出しているようだ。


抑えられた照明のため、暗闇の部分があり、
もちろん立ち入り禁止なのだが、恐れを抱かせる。
暗闇への恐怖はひさびさに感じた。


圧倒的な壁があるわけだが、あまりに圧倒的に目の前にあるため、
疑いたくなり、思わず手で押してみたが、当然びくともしない。
想像的(妄想的)チキンハートである私は、いつこの地下空間が、
陥没し、生き埋めにされるかもわからないと心の片隅で危惧していたため、壁の強さに安心した。


巨大な地下空間を歩いていると、上方のある一部に穴があいており、
外がみえる。
ここにくる途中にあった、霧が出ている山腹の穴はきっとあれだろう。


なんら宗教的な意味合いでつくられたわけでもない空間だが、
神秘的な雰囲気をもっている。
エジプトのピラミッドもこんな感じではあるまいか。
石でできた巨大建造物はなにかしら人間の心理に作用するところがあるのかもしれない。


40分ほどして、外へ出た。
雨は上がっており、受付の女性に後ろ髪引かれながらも、
資料館を後にした。


バス停にもどり、野良犬にじっと見据えられながらも、
バスにのり、再び宇都宮市内に戻ってきた。


「なかなかいいひとり旅だった。」


**ひとり旅 fin.**


長かった夏休みも終局を迎え、東京に戻らなければならない。


東京は消耗するところだ。
その消耗感と加速感と勘違いしないようにしなければ、
身も心もすり減らすのみで、成長の逆を行く。
また加速感と充実感も混同しないようにしなければ、
ただ空しく動き回ることで、空回りして、時間が過ぎ行くのみである。
志を忘れてしまっては、跋扈する魑魅魍魎どもに食い殺されてしまう。


毒と薬は紙一重であることを肝に銘じて、これから世田谷貧乏ハウスへ戻ることにしよう。