なんとなく、ね。

「だってそうなんだから」
そういう理由で意見を持ったり、
行動を決めたりすることは、ある。
でもそれって他人にはわかってもらえない。
理由無く行動することはありえる、
ということはわかってもらえても、
なんで俺がたいした理由なくそうしたかを
わかってもらえることは無理なことだろうと思う。
「なんで?」
と聞かれるたびに、
めんどくせぇな、理由なんてねぇよ、
と思ってきたが、
最近はそうでもない。
無理やりでも他人と共有できる理由を言うようにしている。
「それはね、こうこうこうだからだよ」
それがウソであろうが、
他人は俺がそういう理由で行動した、
ということをもって満足するのだ。
なにごとにも理由を持たせて満足したいという欲求に
皆、駆られているのだ。
また、
「なに考えてんだかわかんない」
そういう人間は不安の源とみなされるのだろう。
社会生活を人並みに送る以上は、
合理的、論理的な理屈を述べる、
という社交辞令を果たしていかねばならない。