犬神家
先日ティーヴィーでやってましたね。
犬神家。
- 出版社/メーカー: 角川エンタテインメント
- 発売日: 2007/07/06
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私は金田一君が奮闘し、
殺人のからくりを紐解くなか、
「ぜったい松嶋(ななこ)が悪だ」
という信念を持ち続けてみていた。
(松嶋の役名は忘れた)
しかし、結果的に松嶋は「善」だった。
なんだか疑った俺が悪いみたいな感じだった。
なぜ、私が松嶋を悪だと思ったかというと、
あきらかに善な感じが、信じられなかった。
狂気的な映画の雰囲気にそぐわない不自然な善。
そこに違和感を感じ、こいつは悪だと思ったのだ。
最後、犯人がわかった後でも、
金田一すら見抜けなかった悪として大どんでん返しを期待した。
しかしそれは空振りだった。
推理ものによくあるかませ犬だったのか、松嶋は。
「いいヤツが、むしろあやしい」の理論は、
火サスの常套手段。
今回の松嶋はその理論を逆手にとったものにみえるが、
私にはそれ以上の意味を与えられていたと思えてならない。
数々の偶然、さまざまな思惑、情念がからまり、
凶悪な犯罪が発生するなかで、
ひとり清純な存在。
泥の中からさくハスの花。
そのような女神のような女性が存在することを、
私は否定したかったのかもしれない。
どこかしら醜いもんだ、人間は、みたいな世界観を私は持っているのかもしれない。
そのことがあくまで善な松嶋に違和感を感じさせたのかもしれない。
このカラクリを市川昆は織り込み済みではなかったか。
単純な推理もので終わらせないための要素として。
根拠はない。
善なるものも悪だと疑う習性を多くの人は見につけてしまっている。
善なるものを信じることを恐れている。
なぜかというと裏切られるからだ。
まずは全て悪だろうと見積もっておけば、
裏切られることは無い。
しかし悪は証明され罰せられるが、
善は証明されず、賞賛されない。
その悲しさ。
論理の金田一、良心の松嶋。
それは安直か。