満足とは

満足とはなにか、朝歩きながら思った。

満足が得られるときとは、ある価値基準上でなにかが満足しうる基準まで達したときだ。
テストで80点とるといって、80点以上とったら、大概満足だろう。

だから何?って話です。

しかし満足を得るための前提として価値基準の存在があります。

80点以上とるべし、とか。

なぜ80点?

なぜそれ以上とるべき?

これについて考えるとなかなか感慨深いものがあるわけです。


世の中には自分とは関係なく存在している価値基準というものがあり、
それを自分の価値基準と勘違いしている人が多い。


経験上、自分の価値基準にのっとって生きている人がなにより強いと思う。
しかし、他人の評価ばかりを気にし、また他人に媚びるのがうまい人間が成り上がる世の中でもあります。
成功者のなかには両パターンがあるように思えます。
それはそれで、人類永遠普遍の事実であるのではないかと思われ、善悪云々の話ではありません。


春になれば桜が咲くと同じ、ただそれだけの事実であって、そこにもののあわれや、憤怒の感情を抱くのはいささか傲慢というものであります。

かくのごとき世であれば、そこに乗じるも杭打つも己次第。


ただ自分の満足というものを見失わず日々を生きていきたいという超傲慢な姿勢。

理由のあるなしに関わらず、自分の中にある基準については妥協してはいけない。

他人がなんと言おうと。


だがしかし、価値の源泉が他者による評価であることも確かだ。


最終的には、ある価値観を信じるか信じないという話になるのだろうか。

自分で許せる自分像は、過去の経験が生み出す幻影か。


「ただ、あの人にだけわかってもらえれば。。。」

あの人って誰なんでしょう。。